宿営地にて、なんだか女ばかりの人だかりが出来ている。  なんだろうと思ったタニスはそこに行ってみることにした。 「ほーら。美人になっただろ?」 「カ、カリルさん…」  顔を真っ赤にしているのはクリミアの民兵ネフェニー。  鏡を顔の前に差し出しているのは傭兵の魔道士カリルだ。 「きれいな顔してるんだから、お化粧の一つぐらいしないと。勿体無いよ?」 「で、でも…」 「ほらみんな見てみなよ。綺麗だろ?」 「うん!」 「本当だね…」 「すごく綺麗ですよー!」  クリミア軍指揮官アイクの妹ミストや、元デイン竜騎士ジル、そして自分の部下マーシャなど。  女子たちが色めきたつ。 「何をしている?」  そんな彼女らにタニスは声をかけた。 「あ、副長!」  マーシャがまず降り返った。 「見てください。ネフェニーさん、綺麗だと思いません?」 「うん?」 「あ、あんまり…じっくり…見ないで…」  ネフェニーはさらに顔を紅くする。  兜も取り払われ、元々顔立ちは綺麗だった彼女は施された化粧でさらに美しく映えている。  おどおどした仕草もまた、それを強調するかのようだ。 「カリルさんってお化粧お上手なんですよ? 私たちもだからやってもらおうかなって」 「ね、ジル」 「う、うん」  女子たちは歳が近めなせいか仲が良い。  ふう、とタニスはため息をついた。  化粧というものは、女子たちのあこがれるものだろうか。  隊長シグルーンが軽く施していたり、宮廷の貴婦人や淑女が施しているのは知っているが、  タニス自身は全く興味がない。  そんなことに時間を費やすならば訓練に費やした方がいい。 「…そういえば…。もしも副長…お化粧したら綺麗だろうなぁ…」  は、とタニスは自分の耳を疑った。  マーシャの呟きはその場の全員の興味を引く。 「確かにねー。副長さん、とても綺麗だからねぇ。化粧しないのが勿体無い」  ニヤリ――カリルが獲物を狙うような目つきで笑った。 「ちょ、ちょっと待て! 私は化粧なぞ――」 「一回やってみましょうよ! シグルーン隊長もビックリするぐらい綺麗になりますって!」 「おい、マーシャ!!」  マーシャに「鬼の副長」の目で抵抗するタニス。  しかし今回はそれで彼女は止まらなかった。  危険な予感がする。 「一回だけですから!」 「だめだ! …っ…」  クラリと、突然強烈な眠気が自分を襲う。  まずいと思って強靭な精神力で抵抗する。  だが眠りの力が上回り、タニスは眠りの海に沈んでしまった。 「ナイス、ミスト」 「えへへ」  ペロリと舌を出すミスト。その手にはスリープの杖が握られていた。 「いいの? 起きたら怒るんじゃ」 「そう…だよ」  ジルとネフェニーが心配そうな視線を向けるがマーシャは。 「多分…説教来るだろうけど、その時はその時! じゃあカリルさーん、お願いします」 「任せときな」  ふふ、と不敵な笑みでカリルは眠るタニスを見た。  そして天幕に彼女を運び込んだ。 「うそ…」 「すごい…」 「とても…綺麗…」 「別人だ…」  化粧を施し終えて、呆然とする四人。 「どうだい? このカリル様にかかればこんなもんだよ」  うんうん、とうなずく。 「ここまできたら、ドレスなんて着せるともっと綺麗かも」 「あ、それいいかも。でもドレスなんてないよ?」  マーシャの提案にミストが賛成するも悩ませる。  だが、カリルが。 「ドレスはないけど、代わりに出来るものならあるよ」 「本当ですか?」 「ああ。これを使うんだよ」  カリルが手に取ったのは――テーブルクロスに使っている白い布だった。 「あれ? みんな何をしているんだい?」  天幕の入口に出来ている人だかり――気になったオスカーが、近付いた。 「あ、オスカーさん!」  ミストとマーシャが振り返った。 「ねえ、見てもらう?」 「そうしようか?」  何事か相談。その様子にオスカーははてと首を傾げる。 「おや、あんたは」 「これはカリルさん」  そこで天幕から出てきたカリル。彼女に挨拶するオスカー。 「こんな所にどうしたんだい?」 「いえ。皆がここに集まっていたのでどうしたのかと思いまして」 「ちょっと、ね」  他の女子陣に目線で合図を送るカリル。四人ともコクコクとうなずく。 「カリルさん。さっきミストと言ってたんですけど、感想聞きません?」 「感想? ああ、そうだね。男に見てもらった方がいいかもね」 「は?」  状況が飲みこめずに呆然となるオスカー。 「ちょっとこっちにおいでよ」 「え? あの、カリルさん?」  手を引っ張られ、オスカーは天幕の中に連れこまれる。  外の女子陣に背中を押されたたらを踏む。 「…え…?」  なんとか踏みとどまりきちんと中を見たオスカーは、我が目を一瞬疑った。  椅子に座っているのはよく知る人物――タニス。  しかしドレスに見せた白い布に包まれ、化粧を施されている。  とても――美しい。  眠っているのか瞳は閉じられているが目を映えさせる線が引かれている。  うっすらと顔には白粉と頬紅。わずかに開いた唇には口紅が。  甘い香りも周囲に漂っている。  眠りと化粧と衣装でなんとも言えない色香に包まれ、普段冷静なオスカーの思考を停止させてしまう程。  それほどタニスは美しかった。 「…タニス…殿…」 「…う…ん?」  声に反応したのか、ゆっくりと瞳を開く。  その瞬間は時が遅くなった錯覚を感じる。  まだ意識のハッキリしない状態で開かれた瞳が反則と言えるほど美しくて。  顔を紅くしながらオスカーはその様子を見ていた。 「…あ…オスカー…?」  ようやく意識がハッキリしてきたか、彼の名を呼んだ後、手で顔を押さえ首を振る。 「どうした。…!!」  そこでタニスは自分の置かれた状況を認識した。  急いで立ち上がり、天幕の外に出る。 「おい、お前達…!!」  来た――全員が固まる。 「副長、すごく綺麗ですよ〜」 「本当」 「だからと言ってこのようなことが許されるか!!」  全員を一喝。ビクリと固まってしまう。 「あの、タニス殿」  そこで後ろから声。オスカーが天幕から出てきたのだ。  彼に事情を説明する。 「こいつらがスリープまで使って無理矢理やったんだ。全く…後で説教だからな」  最後が特にマーシャに向けられる。 「そうでしたか。だめじゃないかミスト」 「ごめんなさい…」  諌められ、謝るミスト。  その後オスカーはタニスに向かって言った。 「しかし…とてもお綺麗です」 「世辞などいらん」  礼を失わぬ彼のことだから――と思って、タニスは返したが。 「いえ。本当にお綺麗です。見とれてしまいました」 「! ……」  かあっ、と顔を紅くする。その優しい微笑みが偽りでないと分かっているからだ。 「ほら。やっぱり副長さん綺麗なんだから化粧で男もイチコロだよ」 「…だが、やはり私は化粧は好かん! 着替える。私の着替えはどこだ!」 「天幕の中です」 「全く…」  踵を返してタニスは天幕の中に入る。  着替える途中タニスは思った。 (…綺麗、か)  あんな風に男から言われるとは。  今までなかったような別の感覚があの時あった。  考えると女として少しは化粧もするべきなのかなと思ったが、自分らしくないなと打ち消した。  でも――言われて嬉しかったのは、どうしてだろう。  化粧の魔力なのだろうか、それは。