デイン王都を発ち、クリミア軍は進撃する。  タニスは一人天幕で考え込んでいた。  テーブルの上にはチェス盤と駒。自分で白と黒の駒を動かし戦術構想を一人で練っている…ように見える。  その険しい顔つきは真剣そのもので、たまに様子を見に天幕を覗き込む部下たちも声をかけられない。 (デインは何を考えている)  白を自軍、クリミア軍。黒を敵軍、デイン軍に例えて駒を動かす。  しかししばらくしてその手を止める。  考えが読めない。  デイン、いや、アシュナードの。  大陸中に戦乱の火種を撒き散らした先に何がある。  狂王の考えはどこか自分たちとは逸している。  戦いのために流される血と涙を考えたことは――ないだろう。  でなければここまで戦いは長引かない。 (…私も、変わったか?)  思う。  この戦争に参加するまであまり考えなかったことを、今は考えるようになっている。  ただ任務をこなしていればいいと思っていた。  しかし怒りと、嘆きと。  戦争がもたらす『現実』をベグニオンにいたときより直視した今となっては。  聖天馬騎士団の、そして神使親衛隊の副長として、やらねばらなぬと強く決意する。  ふいに、切れ長の青い瞳に光が入る。  その光に目を細め入口を見れば部下のマーシャが中を覗きこんでいた。 「…マーシャ、せめて声をかけろ」 「あ、す、済みません、副長!」  縮こまって答えるマーシャ。ふう、とタニスはため息をついた。 「で、何か用か?」 「そ、そうでした! これ、報告書です」  マーシャから報告書を受け取り、一読する。  現在の天馬騎士隊の状況や、デインにて敗残兵を抑えているゼルギウス将軍の部隊の様子を報告している。  そして現在のデイン部隊の状況も。 「ご苦労」 「ありがとうございます。では私は――」 「待て」  そそくさと出ていこうとするマーシャを声だけで止めた。  嫌な予感がして彼女は振り返る。 「訓練だ。着いて来い」  タニスは椅子から立ちあがり、剣を持って天幕より出た。  やっぱり、と思いながらその後をマーシャは追った。 「槍の突き出しが遅い!」 「はい!」 「旋回は迅速に! 天馬の機動力が削がれるぞ!」 「は、はい!」  タニスとマーシャは空中で訓練に明け暮れていた。  喝を入れられながら剣を受ける。天馬騎士は槍使いが多いがタニスは剣を扱う。  相性ではマーシャ有利だがそれでも勝てないのはひとえに彼女の卓越した馬術と剣術だ。  さすがは神使親衛隊の副隊長だと思う。  タニスの連続攻撃をなんとか槍でマーシャは捌き切った。しかし本気でないのはわかる。 「あ、危ない…」 「この程度で根をあげるな! 敵は手加減などせんぞ!!」  鬼だ、と同時に正論だとマーシャは思う。  この厳しさは思いやる心からであると知っている。だからこそ慕える。  しかしやっぱり鬼だとも思う。 「生き残りたくば強くなれ! 己が戦う意味、生きる意味を貫くなら尚更だ!」  タニスは一喝する。  誰しも生きる意味は持っている。  些細なことでも、生きることが立派なことに変わりはない。  だが戦乱の世では生きる為には強くなるしかない。戦い抜くしかない。  大切な者を喪う嘆きを、部下たちに味合わせたくない――。  だからこそ、こうしている。  厳しく、厳しく。強くなれと叩きこむ。  訓練は三時間にも及んだ。  天馬から降りるとマーシャはへたり込んでしまった。 「つ、疲れた……」 「この程度で疲れたなどと言うな」 「…はい」  少し肩が上下しているが、タニスはまだまだやれる雰囲気だ。  もう少し見習うべきなのかなとマーシャは思う。  しかしそこまでの体力は自分にない。  しばらくマーシャの様子を見て、タニスは言った。 「…少し、休憩にするか」 「あ、は、はい」  言われて休憩に入ることになる。  近くの兵士に茶を頼み、天幕に戻る。  テーブルを挟んで対面するがどうしたのだろうとマーシャは思う。 (最近の副長、危機迫るような気もするし、時々妙に優しいし)  何か心境の変化があったのだろうかと思うがわからない。 「失礼いたします」  聞き慣れた声がする。笑みを称えながら天幕に来たのはオスカーだった。 「あ、オスカーさん」 「お茶と菓子をお持ちしました」  焼き立てなのか、焼き菓子は甘くていい香りがする。  疲れた身体にはたまらない。 「どうしてまた君が」 「お茶菓子の試作をしていたところに頼まれましたので」  ニコリ、笑ってオスカーは答えた。  へたな女より彼は料理が上手い。  定評もあり、たまに食事の当番が廻ってきた日は食べ尽くしてしまう程。 「あ、じゃあこれって、オスカーさんの手作りですか?」 「そうだよ。試食はしたから大丈夫だとは思うけど、口に合うかな」 「大丈夫ですよ! オスカーさんのお料理美味しいですもん。それじゃいただきますね」  マーシャはひょい、と焼き菓子を手にとり口にほおばる。  甘さ控えめで、それでいてコクがある。焼き加減は申し分ない。 「美味しいです!」 「ありがとう。言ってくれると嬉しいよ」 「…私も一ついただくぞ」 「あ、はい」  マーシャのにんまりとした笑顔に誘われて、タニスも一つほおばる。  確かに、旨い。お茶の風味とよく合う。  これは思わず手が伸びる。 「たいした腕前だな、君は」 「ありがとうございます」  丁寧な礼でオスカーは返した。 「本当に美味しいです。私、幸せ」  マーシャはお茶をすすりながら菓子に手を伸ばす。  心底嬉しそうな笑みで大満足といった風だ。 (些細なことでも、幸せと感じるか)  それが生きる者としてあるべき姿なのだろうと思う。  日常のちょっとした出来事に感じる幸せ。  それがあるから日々を懸命に生きることが出来るのではと。  この些細な幸せのために。  明日を生きるために。  だから戦う。  戦う意味は、生きるため。  大仰な理由をつけずとも、それだけで立派に意味を持つ。  生きているからこそ、戦う意味は――ある。  (完)