デイン王都ネヴァサを陥落させたクリミア軍。  しかしそこに狂王アシュナードの姿はなく、精鋭と共にクリミア王都メリオルにいるのだという。  戦はまだ続く。多くの悲しみとともに。  そんな折にベグニオンから援軍が来た。  神使サナキ、及び宰相セフェランがかなり無理をして早急に送った、ということなのだが。 「……」  タニスは物思いにふけっていた。  雪は降っていないが、部屋の中は暖炉を燈していても少し冷える。  ――どこか不可解だ。  主君である神使、そして宰相がアイクたちに期待を寄せているのは解かる。  しかし元老院をいかに説き伏せたのか。それを考えると手放しで喜ぶことが出来ない。 「タニス、どうかしたのか」 「…ゼルギウス将軍」  部屋の中でテーブルを挟み先ほどまで会話をしていたのは、今回の援軍を率いた猛将ゼルギウス。  アイクへの諸報告を済ませたあと彼女の元へ来て同じように報告をしたのだ。  その後に一人タニスが考え込んでしまったのでどうかしたのかと声をかけたのだ。 「…不可解だと思ってな」 「今回の援軍についてか?」 「そうだ。あまりにも急過ぎる。サナキ様とセフェラン宰相が説き伏せたとしても…裏がある気がしてならん」 「考え過ぎではないか?」  ゼルギウスはそう言うが、考え過ぎとは思わない。  元老院のことだ、きっとなにか思惑があるに違いない。  もしかすれば――。 「ゼルギウス将軍。私は――」  コンコン。  と、そこで扉を叩く音。  誰だ、と尋ねるとよく知った声が返ってきた。 「オスカーです。お茶をお持ちしましたので失礼してもよろしいでしょうか」  そうか、と同時になぜ、と思う。  なんで彼が給仕のようなことをしているのだ。  まあいいかと思ってタニスは入室の許可を出した。 「失礼いたします」  丁寧に礼をして糸目の傭兵騎士――オスカーが部屋に入る。  銀の盆に乗せられた茶器一式をタニスとゼルギウスの前に置く。 「オスカー、どうして君がこのようなことを?」  すぐに彼は答えた。 「部屋の前で給仕の方が困っていらしたので。お声をかけづらかったらしく」  給仕が情けないと思う一方で、優しいものだなと思う。  それが彼か。 「そうか。…ああそうだ、紹介しておこう。こちらはベグニオン騎士団のゼルギウス将軍だ」 「お初にお目にかかります。グレイル傭兵団のオスカーと申します」  紹介を受け、オスカーも自己紹介。その礼の正しさにゼルギウスも好感を持つ。 「アイク将軍の傭兵団の者か。よろしく頼む」  オスカーは礼でそれに応えた。 「…少し聞いてもいいか?」 「はい、私に答えられることでしたら」  返事を聞いて、タニスは問いかけた。 「今回の援軍について、思う?」 「…今回の、援軍ですか?」  オスカーはしばし考え込むような仕草をする。  それから答えた。 「……セネリオが、クリミアを属国化するためではないかと言っていましたが……。  あ、し、失礼いたしました」  述べてからしまったと思い、陳謝する。  だがタニスは首を横に振った。 「構わん。…私も同じ考えを持っていたからな」  え、とオスカーとゼルギウスが彼女を見た。その様子を見てタニスは続ける。 「神使様にセフェラン宰相は別の考えだろうが、元老院の思惑としてはそうだろう。  実を言ってしまえば、タナス公の一件で元老院のグレイル傭兵団に対する心象は悪いんだ」 「それは角違いではないですか。元老院自体がラグズ解放令に背いておいて…」 「はっきり言えば、逆恨みだ」  言い捨てるタニス。だがその内側には憤りがあるとオスカーは見て取った。 「…タニス、君は…」 「将軍には耳の痛い話かもしれんが、私はそう思っている。  情けない話だが、セフェラン宰相以外の元老院議員は皆俗物ばかりだ。  神使様のお傍にいるゆえ分かるが、保身ばかりを考える輩が多くてな…同じベグニオンの貴族として、情けない」  ふう、とため息をひとつ。  瞳を閉じたその姿はひどく悩みを抱えて。  それを自覚して自己嫌悪する。 「…済まん、愚痴になったな」 「いいえ。お気になさらず」  微笑でオスカーは応えた。  その後はしばらく沈黙が続く。 (…訊いてみるか)  ふと思いついて、考えて。タニスはオスカーに問うた。 「……君から見て、ベグニオンはどんな国だと思った?」 「え?」 「正直に答えてくれ。どのような回答でも私は受け入れる」  オスカーはしばし口をつぐむ。  彼女の真摯な言葉に、偽りは許されない。  たとえそれがベグニオンを貶めるとしても、望みに応えるべきだ。  意を決し、オスカーは口を開いた。 「…大切なことを忘れている国だと思います。  女神を奉じる国ならばあっていいはずの心を忘れている…そう、思います」 「…そうか…」  やはりな。そう、タニスは言った。 「君の言う通りだろう。ベグニオンは女神を奉じる国。  しかし名ばかりの聖職者が幅を利かせ、女神の名の元に、愚行を繰り返す…元タナス公がいい例だ」  ベグニオンへの滞在時、グレイル傭兵団は神使からの依頼でラグズ解放令に背く元老院議員の告発を行った。  その一件で告発されたのは末席のタナス公オリヴァー。  セリノス大虐殺を生き残ったサギの民の王子リュシオンを捕らえた罪で拘束させた。  現在は爵位と地位を剥奪され単なる一神官に落ちている。 「確かに最近の元老院の行動は目に余るものがあった。しかし武官の我らでは限界がある」  言ったのはゼルギウス。  タニスがそれに反論した。 「このまま手をこまねいて見ていろと? それこそ愚か者のやることだ。  国の腐敗を止めるには文官も武官も関係ない。  …でなければ、ダルレカの悲劇が繰り返されるかもしれんというのに……」 「…タニス殿…」  オスカーは胸の内を察する。  ダルレカで汚職に抗議してデインに亡命した聖竜騎士団との対峙。  無念の父と、肉親を失い嘆く娘。  あれは見ていて本当に痛々しかった……。 「…君は少し変わったか?」  その様子を見てゼルギウスが言う。彼は続けた。 「戦の事情などをよく見て、考えるようになったと思うのだが。  以前の君はひたすら任務をこなすのみ――そんな感じだっただろう」 「…否定はしない。今回の戦に出るようになって様々なことを考えさせられた。  戦争を起こした理由、戦場に出る者たちの思い…それを直に感じる。  デインも大切なことを忘れている国だ。…クリミアは…どうなんだ?」  ラグズ国家は同族意識が強いので団結力は強い。  一方、ベオク国家は様々な思惑などが絡んでいく。  上が腐敗してきているベグニオン。狂王に率いられるデインは戦争の意味を解かっているのだろうか。  そしてクリミアは――。 「クリミアは、思い知ったでしょう。侵略されることの恐ろしさを。  今だからこそ大切なことを思い出したかもしれません…」  オスカーの脳裏に蘇るは港町トハの一件。  侵略の危機に晒されているはずなのに、他人事。  同じ人間だからと、デインに味方。  根強いベオクのラグズ偏見を思い知ったと同時に、それこそベオクの本質なのかと。  異端を恐れるその心。  それが自分にもわずかにあると解かって自己嫌悪した。 「…今、必要なことは大切なことを思い出すことのなのだろうな…」  今は狂っている。  それを正せるとすれば大切なことを忘れない者たちが上に立つことなのだろう。  少し茶を口に含む。  温かい。  この温かさを取り戻せれば、とタニスは思った。  国と、主君。そして大切なことのために戦い抜こうと。