降りしきる雪。  ダルレカの地に、雪が降る。 「…うぇ……ちち…うえ……」  たった今作られた墓石の前で嗚咽を洩らすのはジル=フィザット。ダルレカ領主シハラムの一人娘。  先ほどの戦で父を亡くし、彼女は悲しみに暮れて泣き崩れていた。  父を救えなかったことに後悔の念を持ちつつ。 「…」  その様子を遠目から見ている人物がいた。  ダークブラウンの髪に、青い瞳。ベグニオン聖天馬騎士の白い軍服。  神使親衛隊副隊長タニスだった。  なぜ泣くのだ――彼女は思う。  覚悟をしていたことだろうに、こうなることは解かっていただろうにと。  道を違えた騎士の行く先を理解していなかったはずでもないだろう、と。  ジルは父と道を違えた。  デインの行いが間違いと気付き、自分の意思でクリミア軍に留まることを決意したはずだった。  しかし彼女は、ジルは泣いている。対峙して、死んでいった父の墓前で。  髪が、鎧が、墓石が雪にまみれようとも、泣きつづけている。 「…タニス殿」  ふと声をかけられた。声をかけたのは元クリミア騎士で傭兵のオスカーだ。  振り向いたのを見て彼は言葉を続けた。 「雪が強くなってまいりました。お風邪を召す前に戻られた方が」 「…少し、聞いてもいいか?」 「はっ、何か」  了承を得た後、タニスはジルの方に視線を戻しながら尋ねた。 「解かっていたはずなのに、どうしてあそこまで泣くのだろうな…」 「…ジルのことですか…」  雪はさらに振りを増してくる。  しばらくの沈黙の後にオスカーは、答えた。 「…やはり、どのように覚悟を決めていたとしても肉親との対峙とは――心が痛むものです。  避けられた戦いならば、それは尚更でしょう……」  確かに、と思った。  ダルレカの、あの戦略は自領の民を滅ぼす愚策は。  ベグニオン元老院の汚職に抗議しデインへと亡命した聖竜騎士団の英雄譚は残っている。  それを考えると、このような戦いをシハラムは望んでいなかっただろう。  そして、それは娘のジルも同じか。  考えているとオスカーが口を開いた。 「親を、大切な者を失った時、人はなんとも言えない無力感にとらわれるものです。  そして、後悔するのです。自分はどうして、助けになれなかったのだと…傍にいられなかったのだと…」 「…オスカー…」  その言葉は、妙に迫るものがあった。  心を痛ませる言葉は、もしかして。 「…君も、経験があるのか」 「…三度ほど」 「…済まない」 「謝る必要はありません」  オスカーはそう言ったが、済まないと本気で思った。  心の傷を広げるようなことを聞いてしまったのだから。 「…ジルの嘆きは、自然なものです。親を失って嘆かぬ子はいません。  たとえどんなに立場を違えたとしても…深い愛情で繋がっていたのなら」 「そう、だな……」  その人のために流された涙の数だけ、女神は死後に安らぎを与えてくれるという。  だとすれば無念の中散っていったシハラムは安らぎを得られるのだろうか。  女神を奉じるベグニオンの騎士であっても、今その瞬間タニスは疑問を抱いた。  娘の涙は止まらないというのに、本当に安らぎが来るのだろうか。 「…なあ、オスカー」 「はい」  空を見上げて、タニスは言った。 「雪は…残酷だな」 「…雪、ですか」 「ああ。雪は大地を埋め尽くす。血も、戦の爪痕も、すべて埋め尽くす。  だが…心の痛みまでは埋められない。悲しみだけが残る」 「…そう、ですね」  荒れ果ててしまったダルレカに雪は降り注ぐ。  女神の慈悲なのか、これは。 「……そろそろ、戻るように伝えましょう。  ミストたちが心配するでしょうから」 「そうだな…」  二人はジルのもとに近付いた。  気配に気づいて、彼女は腕で涙を拭う。 「…大丈夫かい?」  優しくオスカーが声をかけた。 「…済みません…ご迷惑をおかけして…」  まだ涙声で、ジルは応えた。紅い瞳は閉じられ、出そうになる涙をこらえている。 「…ジル」  そんな彼女にタニスが声をかける。  ゆっくりと目を開いて、ジルは見た。 「これから、どうするのだ?」 「……アイク将軍は、自由にしていいと仰ってくれました……。  殺めた自分を討とうとしてもいいと…」  親を喪う悲しみを、アイクも知っている。ジルの思いは痛いほど解かっているのだろう。  言葉を聞いて、タニスは返す。 「それで君は満足なのか?」 「……」  ジルは沈黙する。  タニスは様子を見ながら続けた。 「フィザット卿は、私も話でしか知らぬが立派な武人だと聞いた。  アイク将軍との一騎討ちの様子を見ても、あのような愚策…本意ではなかっただろう」  タニスの脳裏によみがえるのは、アイクとの一騎討ちの様子。 (戦うしかないのだ)  苦しそうに、見えた。 「はい…。父は、苦しそうでした……。ダルレカの、民に…親身に接して…いましたから…」  また彼女は涙を流した。  父との思い出がよみがえったからだろうか。 (…無念、だな。騎士としても、領主としても、父としても)  タニスは思う。  正義と信念を貫く聖竜騎士としても、民を守る領主としても、娘を持つ父親としても、  何一つできなかったシハラム。  元を狂わせたのは祖国ベグニオンだろう。腐敗した元老院が理由でデインへと亡命した。  だが今、運命を狂わせたのは――。 「すべての元凶は、アシュナードにあり、だな」 「……はい」  コクリと、彼女はうなずいた。 「…本当に討つべきは…アシュナードです…」  ジルの声は、次第に強さを帯びていく。 「私は、クリミア軍に残ります。そして…アシュナードをこの手で討つ。  それが無念の父に対する、私の出来ることです」  父を失った悲しみを力の限り抑え込んで――発した言葉。  その心にタニスは強いなと思う。  今まで信じたものが崩れても、大切な者を亡くしても、立ちあがっていく。 「…そうか」  しかし、どうしてここまで運命の歯車は残酷か。  一人のベオクの人生をこれでもかというほど狂わせている。  今、その歯車を回すのはデイン王アシュナード。  狂気の王がすべてを狂わせている。 「…ミストたちが心配してるでしょうから…もう、行きます。失礼します…」  聖天馬騎士であるタニスに、そしてオスカーに礼をして、ジルはその場を後にした。  後ろ姿が悲しみに満ちている。 「……オスカー」 「はい」 「今は、すべてが狂っているな」 「…そう、ですね」  意味を理解したオスカーはうなずく。 「その狂った歯車を、戻していくのが私たちの役目か…」 「ええ。ジルのような者を、増やさないためにも…」  雪はまた降り積もる。  ――――。 「…?」  声が聞こえた。  歌が、どこからか聞こえる。聞き覚えのある声。 「これは…リュシオン王子か?」 「…おそらく…。呪歌でしょうか」  心に染み入る声。  戦いの後の鎮魂歌のように聞こえる。  だがその歌も、悲しみを洗い流してはくれない。  無念の残る戦いの後ではすべてが虚しく聞こえ、すべてが残酷に見える。 (女神よ、何を思い雪を降らせるか。  思いが伝わるならば、真の安らぎを…散った者達に与えたまえ)  空を見上げ、タニスは祈る。  雪は空を舞い、穢れを覆い尽くそうと降りしきる。  古代語で紡がれる歌も、負の気を浄化せんと響く。  しかし悲しみは残る。  残酷にそれだけは深く。 (アシュナード、お前はすべてを狂わせる気か)  狂気の王はなぜこの戦を起こした。  自国の民をなんとも思わぬのか。  デインは――いや、アシュナードはいったいこの戦の先に、何を思う。  この国には信ずるべき王はいない。  ただいるのは己のためにすべてを狂わせる男のみ。 (…腐敗を止めねば、ベグニオンも同じ道を辿るのか…?)  上が腐れば下は苦しむ。それは祖国も今同じよう。  だが、決して腐らせはしない。  腐らせてなるものかと。 「タニス殿、そろそろ私達も戻りましょう」 「ああ」  オスカーの声に応え、タニスもその場を後にする。  一回だけ途中で振り返り、そして空をまた見上げた。  女神は何を思うのか。  空舞う雪は、とどまらない。  (完)