サナキ支援SS―星を見上げて―  サナキはそっと目を細め、空を見上げた。  昼間の呆れるほどの晴天の時は過ぎ、今この世界は宵闇の中だ。  けれど闇の中に有っても、この森は深い眠りの時よりも優しい。  奇跡とも呼べるほどのセリノスの再生の歌を耳にしたのはつい昼間の事なのだが、  思い出してみるとそれはまるで夢のような出来事だ。  大国の国主として国が関わる幾つもの事業を見たこともあるし、  強大な魔道の実験に立ち会ったこともあるが、そんな様々な経験さえも吹き飛ばしてしまうほどの、  現実感さえ虚ろにしてしまうほどの圧倒的な力。 「わたしは……」  サナキは空を見上げ、浮かぶ星空を見上げる。  暗がりの森の中からは見通すことも難しかった、綺麗な夜空だ。  ふと突き上げるような思いに狩られて手を伸ばすけれども、その手が星達に届く事は無い。  目に見えるものはどこまでも煌びやかで、どこまでも遠いのだ。 「……こんな夜中に、どうなさったんですか?」  背中からかかる声を受けて、サナキははっとなって振り返った。  聴き慣れた部下の声を耳にして振り返れば、何時もと寸分変わらない様子の、  けれど何時もより少しだけ穏やかに見える親衛隊副隊長がそこに立っていた。  彼女が気配を消している様子が無いことを感じ取ったサナキは、  自分が随分と周囲のことを忘れて星空に見入っていたことに気づいた。 「星を見ていたのじゃ」 「星、ですか」  サナキの答えを聞いて、タニスが首を傾げる。  真面目さと厳しさの固まりみたいな彼女には、  サナキの短い答えだけでは星を見るという行為の情緒が伝わらなかったらしい。  もっともサナキとて、情緒に狩られていただけではないのだ。 「ああ、星は手を伸ばしても手に入らないからな……、眺めていたのじゃ」 「……そうでしたか」  納得しきれないといった気持ちをその整った顔の下に収め、タニスが無難な答えを返す。  本人は上手く隠しているつもりだろうが、付き合いの長いサナキからすれば演技である事が丸分かりの行動だ。  普段だったらそんな彼女の揚げ足を取ってちょっとからかってみようかとも思うのだが、今日はそんな気持ちにはならなかった。  今はただ、話を聞いてくれる相手が欲しかった。 「神使、皇帝、大国ベグニオンの国主……、そんな風に肩書きを並べてみても、手に入らないものは幾らでもあるし、  出来ないことは幾らでもあるものじゃ。幼い頃のわたしはそれが分かっていなかったし、  分かろうともしなかった。分かるようになったのは……、己の地位の重さを知ってからじゃな」  今でこそ大国の国主として振舞うサナキも、子供の頃はただの我侭の子供に過ぎなかったのだ。  周囲の者達は何でも自分の言うことを聞いてくれたし、手に入らないものなんて無かった。  国主として様々な教育を受けてはいたものの、それが現実的にどんな意味を持つのさえ知らなかったのだ。  時が経ち国主となりその自覚を持つようになって知ったのは、己の立場の強さでも出来ることの多さでもなく、自分の無力さと立場の弱さだった。  神使などと呼ばれても、自ら表立って出来るようなことはたいしてない。  個人としての能力は元々高が知れているし、  政治力という意味では老獪の集う元老院に団結されたら勝ち目は無い上無理に権力を行使しても後でしっぺ返しを食らうだけだ。  正面からの正攻法では出来ることなど殆ど無いと気づき、裏側から手を回す方法を知るまでにかかった歳月と、  上手く動いてくれる者達に出会うまでにかかった歳月。  それは決して長い時間ではないが、短い時間でもない。 「サナキ様……」 「今わたしはこうして、目的の一つを果たした……。いや、果たすための入り口に立った所なのだろうな」  アイク達という、帝国と無関係で尚且つ正義感の強い若者に出会うことによってサナキは帝国内で違法にラグズ奴隷を扱う者達を見つけだすことができ、  滅んだと思われた鷺の民の生き残りに出会い、彼らに謝罪する事も出来た。  それらの功績が自らの手によるものではなく、自分はあくまで好機と人脈、そして幸運に恵まれただけなのだとサナキは思っていた。  自分はただ、全てが揃うまで『待って』いただけなのだ。  サナキは知らない、待つことの出来る強さを、待って現れた好機に動く事が出来るその行動力の意味を。  サナキはただ、それを大国の国主に着く者として必要な能力の内だと思っていた。  己の力を過信してはならない。  権力をもつものが過信して動く事があれば、この世界は容易に均衡を崩す。  自分の立場の強さも脆さも知っているサナキは、常にそのことを肝に銘じているのだ。  それに、これはまだ始まりに過ぎない。  サギの民の主は森へ帰還したけれども、生き残りはたった三人しかいないという現実があるし、  元老院を荒立てないように森の再生への細かい経緯を説明するのもまた骨の折れる作業だ。  非が誰にあるかを説明するのは簡単だが、  貴族連中の中には外部の者を雇って皇帝が秘密裏に調べ事をしていたということを嫌う者も多いだろう。  それにアイク達はこれから本来の目的のためクリミアに向かうから、これ以上彼らの協力を仰ぐ事も出来ない。  孤軍奮闘とまでは行かないが、これからはまた頭の凝り固まった老獪どもとの地味な戦いを続ける日々が待っている。  まだまだやることは多いなと思いながら、サナキはもう一度星空を見た。